自分の人生に納得できるか?これが全て。
”一度きりの人生”
言葉ではわかっているが、本当の実感をもって1日1日の時間を大切に使えてるか? と、聞かれると自信がない。
でも確かに言えるのは死はいずれはやってくるし、明日にもやってくるかもしれない。その時に後悔する人生だけは絶対に避けたい。
そのためには、常に死を意識して、自分自身が真に成し遂げたい事に焦点をあてて動いていく必要がある。
僕は後悔する人生を送らないようにするため、”あったかもしれない人生”という仮説を立てる様にしている。
”あったかもしれない人生”とは、自分自身が誕生してから仮に、全てにおいて最善の選択をし、全力で行動をしていった時、自分は何処まで辿り着けているのだろうか?という仮説的な人生である。
要は生まれ持った資質は同じで、最善の行動をしたもう1人の自分が居た場合、自分という人間はどれだけの可能性があるのかという事を考えてみる。今の自分とどれだけの幅の開きがあるのかを測ってみる。
これは年齢を重ねていくほど幅の開きは大きくなるし、取り戻しが効かなくなってくる。それだけ瞬間瞬間の選択は人生に大きく影響してくると思う。
もう1人の自分が、出逢えたかもしれない人、成し得たかもしれない仕事、見ることができたかもれない様々な景色、感じることができたかもしれない様々な感情や感覚などを味わえないまま死んでいくことが怖くなる。
もちろん今の自分が悪いわけじゃない。今いる仲間や家族はとても大切だ。
しかし自分の可能性を残さずに死ぬためにも、”今”を心から全力に生き、毎日を主体的に、他人の人生を生きるのではなく、自分がコントロールできる自分の人生に力を注いでいかなければならない。後悔しない選択を積み重ねいくしかない。
成れたかもしれない自分にならなかったことに悔やみながら死ぬのは絶対に嫌だ。いま僕ができるのは、後悔しない選択と行動をとり、常に死を意識しながら、今日を心から大切に生きることだ。